大宮 八幡宮。 大宮八幡宮とは

1本の木に会いに行く【1】大宮八幡宮 共生の木<東京>

(杉並の神社より抜粋) 新編武蔵風土記稿による大宮八幡宮の由緒 (和田村) 八幡社 除地、六萬坪、小名大宮にあり、社領御朱印三十石、天正十九年附せらる、別當大宮寺神職中野右近社領の内十五石づつ配當せり、各當社の惣門より二町程を隔てをれり、縁起に云、當社は人王七十代後冷泉院の御宇天喜年中奥州の夷賊蜂起せし時、鎮守府将軍源頼義勅を蒙り奥州に向ひ給はんとて當所を過ぎ給ふ時、空中に奇雲たなびき、さながら白幡の如くなりければ、将軍奇異の思をなし、是の影向せるならんとて、則當社を勧請し給ふ、因て降幡山妙雲院と號せり、その後堀川院の御宇奥州の武衡近國をなやまし、王命にそむきければ、寛治元年源義家追討の勅を承はり、かの地に向ひ給ふ時、天喜の例に倣て幣帛及びくさぐさの寶物を納め給ふ、又遥の星霜をへて文治五年鎌倉右大将泰衡追討の勅をうけ、奥州に打向はんとて此所を過ぎし時、山中より白雉二羽飛去りしかば、是八幡擁護の奇瑞ならんとて、いさみて進發し、日ならずして凶賊を平げ、梶原景時をして當社に幣帛を奉せしむ、しかるに天文年中長尾景虎の亂によりて、兵火の爲めに社檀ことごとく焼失し、什物等すべて烏有となり、一物ものこさず、天正年中にいたり東照宮より神領を附せらると見えたり、此縁起天正十九年極月別當某記せしものなりといへど、其後焼失せしを後人つづりなせしものにて、殊に武衡追討の勅を蒙り、奥州に赴き征伐せしは寛治五年のことにして、年代等も定かならざれば全文をばもらせり、此等のこと上りし世のことなれば其詳なるをしらず、神主の傳に文治五年七月十九日鎌倉右大将出陣の時、當社へ祈念あり、先陣畠山次郎重忠此所に陣をとり、其餘三浦平太義村、葛西三郎清重・工藤小次郎行光・同三郎祐光・狩野五郎親光・藤澤次郎近等暫く在陣し、遂に逆徒を平げ歸陣せり、此日九月十九日のことなれば、嘉例なりとて祭禮は此日に定めたりと云、【東鑑】を閲るに十月廿四日右大将録倉御歸者とあれば、此頃の事を云にや、されどことに附會にいでたりと見ゆれば信じがたし、或は云の祭は八月十五日ゆへ、當社を九月十五日に定めたりしが、先年玉川水溢の時渡船なしがたく、其日をのべて九月十九日に祭式を行ひしにより、遂に此日となれりとぞ、 惣門。 大宮八幡宮の概要 社号 大宮八幡宮 祭神 応神天王、仲哀天王、神功皇后 相殿 - 境内社 三崎神社・天満宮・東照宮・山神社、白山神社・稲荷神社・若宮八幡神社 祭日 例祭日9月15日 住所 杉並区大宮2-3-1 備考 結婚式場清涼殿・大宮幼稚園併設• 降幡山妙雲院大宮寺 所在:杉並区大宮1-15辺 開創:永享元年(1429) 開山:聖氷(本寺中興、永享3年2月24日寂) 本寺:(中野区) 本尊:不動明王立像 朱印地:15石 備考:大宮八幡宮の別当寺。 当宮ではこの故事に因み、安産祈願をした腹帯 岩田帯 を「大宮八幡息長帯 おきながおび 」と名付け、お生まれになるお子様とお母様に延命長寿と幸運が授かるように祈念して調製しております。

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[佐野和史] 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について 「大宮八幡宮」の解説. 1063年(康平6)源頼義 よりよし が創建し、のちに源頼朝 よりとも が鶴岡 つるがおか 八幡宮と等しく神殿を建立し、社僧を置いたと伝えている。

大宮八幡宮の歴史・由緒

寄進 大宮八幡宮 武蔵国多東郡中野郷大宮之内三拾石之事右令寄附事、 天正19年辛卯11月 また、寛永10(1633)年5月の「関東真言宗新義本末寺帳」をみると、 中野 寺領15石 末寺 世田谷 寺領12石 中野大宮前大宮寺是ハ門徒寺領30石 とあり、別当大宮寺と合せて寺領30石を拝領していたことがわかる。 昭和39年 1964 4月吉日建立 拝殿 本殿 若宮神社 天満宮 御札所・御輿殿 御輿 石段上より見る境内 御旅所. は帯中日子命 たらしなかつひこのみこと (仲哀 ちゅうあい 天皇)、息長帯姫命 おきながたらしひめのみこと (神功 じんぐう 皇后)、品陀和気命 ほんだわけのみこと (応神 おうじん 天皇)。 天保10年 1839 8月吉日建立 神門 参道 最後の石段 石段上左右の狛犬。

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鳥居と社号標 参道と屋島 参道 〆柱と二の鳥居 二の鳥居の後ろに居る浪速狛犬。

大宮八幡宮の歴史・由緒

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境内案内

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大宮八幡宮

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大宮八幡宮の御朱印・御朱印帳紹介(杉並区/西永福)”小さいおじさん”がいる東京のへそ現地レポ

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